John Hopkings Singaporeにおける研修報告
研修期間 | 2008年12月15日~12月19日 |
参加メンバー | 岡山大学 水川 展吉(歯科医師)、假谷 伸(医師) |
報告者 | 岡山大学 水川 展吉 |
中国・四国広域がんプロ養成コンソーシアムの一環として、2008年12月15日から19日までの5日間、シンガポールにて研修に参加してきましたので報告します。
12月15日 初日
John Hopkins Singapore(Private Clinic)は、Tan Tock Seng Hospital (Public 1000床)の中にあり、外来は1階に、病棟は13階にあります。午前8時からJohn Hopkins Singapore(JHS)病棟にてProf. A.Chang(CEO)、Ms.Erin Pung (Manager)らに、研修内容すなわち病棟回診、外来診察の見学、腫瘍ボード(キャンサーボード)への参加などの説明があり、週間スケジュールを配布されました。その後、Prof. A.Changの回診の見学をさせていただきました。JHSのスタッフのメンバーは、化学療法専門医が3名、内科医が1名でした。主に乳がん、大腸がん、肺がん、肝臓がん、膵臓がんなどの化学療法を行うということでした。
抗がん剤の化学療法は、ドクターがレジメンを決め指示を出し、それを看護師が実際に行うようです。何かトラブルがあればドクターへ報告し、ドクターが指示あるいは対処するという説明がありました。JHSの特徴としてUAEやインドネシアなど海外からも多数患者が来訪しています。説明書もJHSは4カ国語のものがあり(英語・中国語・マレー語・アラビア語)、Tan Tock Seng Hospitalでも4カ国語表示(英語・中国語・マレー語・タミール語)であり、シンガポールが日本と異なり多民族、多言語、多宗教の国家であると認識させられると同時に、世界の多くの国々から患者を集めることができるという強みもあることがわかりました。特に通訳が外来にも病棟にも頻繁に出入りし、活躍しているのが印象的でありました。
歯科的な依頼は、Tan Tock Seng HospitalのDental Clinicへ紹介し、耳鼻科も同様にTan Tock Seng Hospitalへ紹介するとのことで、Tan Tock Seng Hospitalとの連携が強いこともわかりました。外来化学療法室の視察では、チェアが7台、ベッドが3台設置されており、ゆったりした広いスペースでありました。また、私たちは外来看護師と病棟看護師のカンファレンスにも参加しました。お互いに問題点を出し合い、外来の患者あるいは病棟の患者という認識をこえ、JHSの患者であるという認識で議論されていました。日本の大学病院では部署ごとの意識が強く、全ての部署ではありませんが、病棟は病棟、外来は外来で、患者は完全に分けられ、外来点滴の患者はたとえ休日であっても病棟の看護師は点滴は行わず、病棟にてドクターが行う現実を考えますと、やはり認識の差を感じます。部署主義から脱却し、大学病院の患者であるという認識が必要なのではないかと思われました。また、私は歯科医であり、化学療法前の口腔ケアについてProf.Changに尋ねてみました。すると、頭頸部がんの患者においては歯科に紹介し歯科的な処置や口腔ケアを行うが、それ以外の腫瘍患者においては看護師が口腔ケアも担当し、口腔ケアのために歯科には紹介しないとの返答でありました。
12月16日
午前8時からProf.Changの病棟回診に参加しました。病棟においては病室に患者氏名欄がありますが、通常は性別のみ記載され、その下に主治医の氏名が記載されています。プライバシーの保護に関しては徹底しているようです。回診後にBreast Tumor Board Meetingに参加しました。腫瘍外科医、腫瘍内科医、放射線診断医、放射線治療医、病理医、看護師などが参加していました。ドクターが患者氏名、レントゲン、病理、治療経過のプレゼンテーションを行い、今後の治療方針に関して討論していました。やはり、診断の鍵となる病理医と放射線科医および実際に治療を行う腫瘍内科、外科、放射線治療医との連携はすばらしいものがありました。日本におけるキャンサーボードのあり方を考えさせられました。その後、Consultant(教官)であるDr.Bharwani の外来を見学しました(直腸がん、結腸がん、膀胱がんなどの患者が多いようでした)。Dr.Bharwaniと口腔がんなどの頭頸部がん(扁平上皮がん)の化学療法についてディスカッションをしました。やはり、日本と同様にシスプラチン、5FU、タキソン系を組み合わせ、化学療法を行うとのことでありました。夕方にGeneral Surgery Tumor Board Meetingに参加しました。腫瘍外科医、腫瘍内科医、放射線治療医などが、参加しておりました。
12月17日
午前7時半からUrology Tumor Board Meetingに参加しました。参加メンバーは、泌尿器科医、腫瘍内科医、放射線診断医、放射線治療医、病理医、看護師などで構成されていました。やはり、病理診断と放射線診断が鍵となっておりました。病理医による病理プレパラートの写真の説明や放射線科医によるCT写真の説明がありました。キャンサーボードの充実ぶりがうかがえました。また、シンガポールはUSシステムを採用しており、外科医は化学療法は行わないとのことでありました。
その後、Consultant(教官)であるDr.Lopes の外来を見学しました。UAEから来訪した62歳の患者の診察があり、 肺がんのリンパ節転移および骨転移症例がありました。驚くべきことに化学療法の治療前後のPET-CTの比較で、原発巣、転移リンパ節、骨転移部ともサイズ縮小あるいは消失を認めていました。私は口腔外科医であり、通常扱うのは、口腔扁平上皮がんで、肺がんのことは、全くよくわかりませんが、治療効果に驚嘆したのを覚えております。使用されていたのは、分子標的治療薬Tarceva(Erlotinib、 チロシンキナーゼ阻害剤、 EGFR阻害剤)とSorafenib (Nexavar、 VEGF阻害薬)とのことでありました。
また、Dr.Lopesは海外からの患者が多いので、来院回数を減らすため患者や患者の主治医にe-mailを送り、近況を聞くとのことでありました。
- 左
- Tumorボードに参加しました。ドクターは熱心に治療方針につき議論しています。一般的に 参加メンバーは、切除を担当する外科医、化学療法を担当する腫瘍内科医、放射線診断 医、放射線治療医、病理医、看護師などで構成されていました。
- 右
- 病理医が用いたスライド、病理写真を病理医がプレゼンテーションを行い腫瘍の種類や タイプを説明していました。
その後、Dr.Lopesと口腔扁平上皮がんなどの頭頸部がんの化学療法につきディスカッションをしました。やはり、頭頸部がんの化学療法は、Dr.Bharwaniと同様にドセタキセル(タキソテール)、シスプラチン、5FUの3剤を中心に化学療法を行うとのことでした。3週ごとに2クール行い、効果があればもう1クール行い、その後、放射線化学療法を行うとのことでした。放射線と同時使用する薬剤は、シスプラチンおよび分子標的治療薬セツキシマブ(Erbitux、EGFR阻害剤、モノクロナール抗体)とのことでした。セツキシマブは、米国食品医薬品局(FDA)が30年以上ぶりに承認した頭頸部がん患者のための治療薬であり、放射線療法と併用することにより、生存率と局所制御率が有意に改善することが知られています。またセツキシマブを従来の化学療法に追加することで頭頸部がん患者の生存が延長するという報告もあります。
また、Dr.Lopesは、転移巣でも切除が望ましいと判断されるものにおいては、外科医に紹介し、切除を依頼していました。どこまでも治療をあきらめないというのは、患者さんにとっては経済的なこともありますが喜ばしいことでしょう。
さらに、化学療法前の口腔ケア(有害事象対策)についてディスカッションをしました。口内炎などの有害事象対策のため化学療法前に前もってDental Clinicを紹介する場合は、頭頸部がんの場合、骨髄移植の場合、免疫抑制剤を使用する場合、免疫力がかなり低下するような強力な化学療法を施行する場合、ビスフォスホネート製剤(ゾメタなど)を使用する場合とのことでした。(特にビスフォスホネート製剤使用による顎骨壊死は、近年、歯科口腔外科的には世界的に問題となっています。そのため口腔内の感染源除去のための抜歯は、製剤使用前におこなうのが望ましいといわれています。
- 左
- 放射線科医が腫瘍の広がりにつき、コメントしていました。
- 右
- Dr.Lopes の外来見学。UAEから来訪した62歳の患者さん。肺がんのリンパ節および骨転移症例で左側が化学療法前、右側が化学療法後のPET-CTとの比較です。化学療法施行により転移リンパ節、骨転移部ともサイズ縮小あるいは消失を認めていました。
12月18日
午前8時から、図書室にてJHS医局員におけるケースカンファレンスが行われ、週1回開かれるとのことでありました。今回は放射線化学療法の症例、脳転移をおこした症例、肺炎をおこした症例について話し合われていました。難症例をMedical officer(レジデント)がプレゼンテーションを行い、Prof.ChangやConsultant(教官)に質問し、彼らがそれに答える形式でありましたが、Prof.ChangやConsultantたちもお互いに自分たちの経験を交えて話をされていました。
その後、Prof.Changの外来診察の見学を行いました。肺がん(Small cell carcinoma)の脳転移症例や乳がんのリンパ節転移症例、直腸がんの肺転移症例など多くの転移症例を診察しておられました。しかし、放射線治療や化学療法で、腫瘍の原発巣や転移巣の縮小あるいは、変化なしの症例が数多くあり、担がん状態で生存している症例が多いのにやはり驚かされました。私自身の専門領域である口腔がんは扁平上皮がんが多く、転移症例は抗がん剤を行ってもあまり効果を認めないと思われ、積極的に化学療法をすすめませんでした。
しかし、今後は、転移症例においても腫瘍内科医に積極的に紹介し、積極的に治療を行ってもよいのではないかという考えにかわりました。やはり、患者にとっては、化学療法の専門家による治療をうけたいのが本音でしょう。
その後、Dr.Batac (Medical officer、レジデント)などと放射線治療や化学療法後の口内炎対策につきディスカッションをしました。Prof.Changは、Lignocaine gargle、Chlorhexidine mouthwash、NaHCO3 gargle、Fluconazole、MEBO Creamをよく使用するとのことでした。結局のところ、局所麻酔入りの含嗽剤、ヒビテンの含嗽剤、抗真菌剤などでありますが、MEBO Creamは日本では私自身見た事も聞いたこともありません。調べてみますと抗菌、抗真菌、抗炎症作用を有し、胡麻油が含有されている薬剤のようです。また、頭頸部がんの放射線治療症例においては、口内炎による摂食困難を回避するためPEGを造設することもよくあるといっていました。
その後、Combined RT/Rad. Conferenceに参加しました。これは放射線化学療法についてのカンファレンスであり、腫瘍内科医と放射線治療医が参加し、治療につきディスカッションをしていました。
12月19日
最終日で、午前は病棟回診および病棟見学であり、午後からHepatocellular Carcinoma Tumor Boardに参加しました。外科医、腫瘍内科医、放射線科医、消化器内科医などが参加し、ここでも活発な議論がなされておりました。最後にClosing Meetingがあり、Prof. A.Chang(CEO), Ms.Erin Pung(Manager)らと研修の総括、改善点を話し合いました。また、今回の研修に感謝し、私自身も岡山大学病院における医科歯科連携の口腔がん治療につき、プレゼンテーションをさせていただきました。
12月20日
市内観光後、深夜にシンガポールを出発し、翌日帰国しました。
研修先において学んだこと
シンガポールは1965年シンガポール共和国として独立し、面積は琵琶湖と同程度、人口は約450万人で、華人(中国) 76%、インド人 8%、マレー人 14% 、その他2%からなります。公用語は英語、中国語、マレー語、タミール語(インド)であり、宗教は仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教などで、多民族、多宗教の国家です。初代首相はリー・クアン・ユーであり、独立後30年間、年平均10%の経済成長率を達成し、1990年代には先進国となりました(参考:地球の歩き方 シンガポール、2008-9)。
- 左
- マーライオンパークにあるマーライオン、1972年、当時の首相リー・クアン・ユーの提案で造られました。
- 右
- 千燈寺院、タイ仏教と中国仏教が調和した寺院。
私は、今回、主に下記3点を学習しました。
まず第一は、国際性および医療と経済の融合です。Johns Hopkins Singapore(JHS)のあるTan Tock Seng Hospitalは、前述しましたように1000床を有し、1階にJHSの外来が、13階にJHSの病棟がありますが、1階はモールのようになっており、さらに驚くべきことに巨大なモールが隣接し、スカイブリッジでつながっています。そして地下鉄(MRTのNovena駅)とも直結しています。医療と経済の融合であり、いかにも経済立国であるシンガポールを思わせます。しかも、院内の掲示板はTan Tock Seng Hospitalは英語・中国語・マレー語・タミール語(インド)の4か国語表示であり、JHSは英語・中国語・マレー語・アラビア語の4か国語表示です。通訳もおかれ、海外から来た患者も積極的に受け入れています。医療も経済市場の一分野であるという感じがします。特に、JHSは石油で裕福なアラビア諸国をターゲットにしているようにも感じました。
第二は、キャンサーボード(腫瘍ボード)のあり方です。外科系、内科系を問わず、病理と放射線は治療の鍵ですが、ほとんどのキャンサーボードに病理医と放射線科医が参加し、スライドに病理写真やCT、MRIなどが映し出され、説明されていました。また、外科医と腫瘍内科医、放射線治療医のコラボレーションも実にすばらしいものがあり、本来あるべきキャンサーボードの姿であると思われました。
第三は、集学医療のあり方です。今回、抗がん剤の化学療法を主に行っているJHSを見学しましたが、治療の専門家を養成すべき(この研修の目的)であるということを痛感しました。日本の医局制度においては、全てではありませんが、がん治療を単一の所属診療科で入院し治療を行う傾向が強いと思われます。しかし、単一診療科では全てに完璧に治療を行うのは不可能であり、患者にとっても専門家チームによる連携治療を行ってもらう方がよいのは当然です。今後そういった方向で、日本のがん治療も進んでいくと思われます。私自身も、今までに医科歯科連携や地域連携の口腔がんや頭頸部がんの治療に取り組んできました。米国がんセンターをモデルとした耳鼻科、形成外科、口腔外科の3科合同口腔がん手術(耳鼻科腫瘍グループ・形成外科木股教授・口腔外科再建系との連携)、口腔がんの放射線治療におけるフッ素塗布を用いた口腔ケアの導入(放射線科・口腔外科・予防歯科との連携)、口腔がん切除後の顎骨再建部位へのインプラント埋入(形成外科・口腔外科・咬合義歯科との連携)、岡山県における口腔がん検診の導入(口腔外科再建系・病態系と岡山県歯科医師会との連携ボランティア事業)などです。
がんは、転移をおこす全身疾患です。そういった意味でがん治療という観点からすれば、医師が主役で、その連携が重要であるのは当然でしょう。しかし、歯科医も口腔が存在する頭頸部がんにおいては、重要な役割を担っています。すなわち口腔がんの診断部門、咬合の再建部門、口腔ケアの部門などです。口腔がんの治療部門においては、耳鼻科医(医師)と口腔外科医(歯科医師)で意見の分かれるところでありましょう。しかし、患者さんのためには競合せず共存し、自分の得意な分野で協力し、チーム医療を行うべきであるというのが私の持論であり、今回のシンガポール研修で、さらにその考えが強まった感があります。
このようなすばらしい研修の機会を与えてくださいました中国・四国広域がんプロ養成コンソーシアムの運営スタッフの皆様に深く感謝いたします。